(4)地域の技術を生かす
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先ほどもいいましたが、松本の平らに点在する本棟造りは、とてもいい雰囲気を持っています。 松本の平らはよそよりも水が豊富で陽もたくさん当たり、肥沃な、豊かな土地でした。けれども、 それだけではありません。白川の合掌造りや、東北、京都のように、なぜか日本の地方では、みん なが競い合っていい家をつくり、美しい形を生み出していった。それは、やはり大工が、「おれの 作ったものは、どうだ、あいつには負けんぞ」という、自分に自信を持ってものを作り上げたから であり、またそれを全面的に押し出してくれた建て主がいたからだと思います。お互いが一丸とな って仕事ができたのです。
あちこちで、色とりどりのハウスメーカーの家が建ち 並んでいます。そういった家は、30年ぐらい経てば建て 替えてくれるだろう、そういう計算で作られています。 だからちょっと見がよく、飛びつきやすい。国がつくて いる公共的な建物も、それが100年経ったときに、この 建物は立派だから重要文化財にしましょう、などという ことはたぶんないだろうと私は思います。なぜなら、昔 の木造住宅や、京都や奈良にある神社仏閣にしても、 1000年から経っている建造物です。それと比較したと きに、これはちょっと耐えきれない、と思います。 松本には開智小学校がありますが、明治になって、いろんな西洋建築ができました。当時の西洋 建築が今になって重要文化財になったのは、かたちは変えても、立派な技術を持っていたからで す。誇りの持てるものをつくることによって、それが自分の支えになっていくのだと思います。 昔から家に限らず工芸、たとえば焼き物、漆、鍛冶といった伝統的な技術があります。たとえば 鍛冶屋の仕事というと村鍛冶屋がつくる農機具、鶴嘴や鍬以外にも、刀の鍔やこづかい、鎧などは みんな鉄でできています。鎧はいかに鉄を薄く形よく叩くかに腐心し、その上に錆止めを兼ねて漆 を焼き付けてつくってあります。そういう技術が伝統的に日本にはありました。ヨーロッパにも甲 冑はありますが、向こうのものは絶対に殺されないために身体すべて鉄で覆ってしまうという、実 用的なものです。日本の場合、もちろん戦にも使いましたが、非常に装飾性の高いものでした。 「おれの付ける鎧は緋の鎧だ」と、みせびらかした。緋の鎧であれば、本朱の漆を塗って焼き付け てつくったものということです。やはりそれを通す組紐も、それぞれ独自の編み方があり、麻もあ れば綿もあれば絹もあった。そのような技術が脈々と続いてきたのですが、高度成長とともに、ち ょっとずつなくなってしまったのです。
われわれの集落(木曽平沢)も、かつては1200人 くらいの職人がいたましたけれども、今は150人くらい、 約10分の1になってしまっています。鍛冶屋はほとんど なくなってしまった。左官屋にしても、蔵造りの観音開 きの合わせの扉ができる人は…。修行して、「仕事があ りさえすればおれはやるぞ」という人はいると思います。 仕事があればそういう技術はまた盛り返します。けれど も、現実的にはありません。昔だったら立派な蔵を造っ て自慢する人が結構いましたが、今の時代ではお金があ っても、いい車に乗ったり、旅行に行ったりして、せい ぜいちょっと見のいい家を建てるくらいで、伝統的な技 術を本当に生かそうという人はいません。 数百億、数千億円かけて建てられた公共の建物でも、何か良いものを使っているかといえば、何 もない。いかにお粗末であるか。たとえば東京都庁は1800億円かかっています。国立第二劇場は 1200億円。松本あたりでも50億から100億近い建物はいくつかあります。坪単価で割ると300 万円とか、ひどいものになると500万円にもなります。それくらいお金をかけている建物に、ド アも何もかも、工業製品です。ちょっとお金がかかっているのを見せかけるために、大理石を床 に使っていたりする。それもスペインやインド、中国あたりから安いものを持ってきて使ってい るだけ。寒冷地で使って水が浸みれば簡単にひびが入ります。それは本当に日本の文化に必要な ものなのか、疑問です。 50億の建物でも、その10分の1を大工、左官、鍛冶屋、材木、漆屋、そういう伝統的な技能を 持った職人にいただければ、やりきれないほどの仕事が生まれます。職人というのは、そのことに よって意気が盛り返すのです。「あそこのドアの取っ手はおれが叩いたやつだ」「デザインはあの 人がやったけれど、今度はデザインに参加してみよう」という意欲が沸いてくると思います。自分 たちの身近にある公共的な建物くらいは、自分たちにやらせてくれ、いくら補助金が出てもひも付 きは駄目だと、そういう考え方が必要だと思います。 |